なぜ愛する勇気を持てないのか『幸せになる勇気』岸見一郎/古賀史健著

幸せになる勇気

100万部を突破した『嫌われる勇気』。

アドラー心理学が日本中に知れ渡るきっかけとなった1冊です。

新しく視界が開けるような感覚を覚え、とても清々しい気持ちになりました。ここまで心を揺さぶられた本はめったに無いです。

その続編である『幸せになる勇気』を読みました。

教師となった青年が、アドラー心理学を捨てるか否かで悩み、再び哲人の元を訪れます。どんなことが語られるのか楽しみながら読みました。

人が不幸なのは「自立」できていないから

読んでいて気づいたのは「人が不幸なのは自立できていないから」ということです。

子ども時代のライフスタイルを持ったまま大人になっている」という話が出てきます。

アドラー心理学における「ライフスタイル」とは、生活様式ではなく、性格や世界観という意味です。

「性格」と言ってしまうと変容させることができない、生まれつき決まったものだと捉えられるので、いつでも変容させることができる意味で、「ライフスタイル」という表現をしています。

人は弱い存在として生まれてきます。生まれてすぐには立つことができませんし、親がいないと食べることもできません。ここが他の動物との大きな違いです。

その身体的な弱さゆえに、子どもは親に愛されないと生きていけません。

いかに親の注目を浴びることができるか、愛されることができるか、世界の中心に君臨できるか、「愛されるためのライフスタイル」を築いていきます。

ここが問題なんですね。

この子ども時代のライフスタイルを持ったまま大人になる。大人になっても「誰かの子ども」としてのライフスタイルにとどまっている。

周りの人が自分のために何かやってくれる。誰かに愛されることを待っている。これが自立できていない大人です。常に与えられることばかり考えているので、自分から一歩を踏み出さなくなります。

この自立できていない状態が勇気を持てない状態なんじゃないかと思っています。「すべての悩みは対人関係」と言い切っているアドラーですが、逆をいうと「すべての幸福も対人関係の中から生まれてくる」わけです。

対人関係に踏み込もうと思えば、いろいろうまくいかないこともあります。傷つくこともあるかもしれませんし、面倒な問題になることもあるかもしれない。

一歩踏み出せずにいる。だから幸福になれないと。

幸せになるためには自立すること

自立するためには子ども時代のライフスタイルから脱却が必要だと言います。何かしてもらおうとするのではなく、自らが歩み寄ること。

ここでは「愛すること」に帰着しています。シンプルですね。愛するためには、相手に愛されるとか関係なく、自らが愛する必要があります。

愛するとは「与える」ことと同じ意味です。与えることで共同体に貢献することが幸福ということですね。

子ども時代のライフスタイルから脱却して、自立すること。あなたのために与えること。そして「愛する勇気」を持つこと。これが人生最大の選択だと締めています。

おわりに

「幸せに生きたい」と「ラクに生きたい」というのは違うという哲人の言葉にハッとしました。ラクに生きるというのは、人生のタスクを回避した生き方であり、本当の幸せをつかむことはできないとも言っています。

幸せに生きるためには、対人関係に一歩踏み出す必要があると。それは傷つくかもしれませんし、困難な道です。

それでもアドラーは「あなたが始めなければならない」と言います。

最初の一歩を踏み出せば、次の一歩も踏み出すことができます。この一歩をくり返すことが「歩む」ということです。

この一歩を踏み出すことは、とても勇気がいることです。傷つくことがあるかもしれないから困難なのです。他者に与えることで自分に価値があると実感できる。それが共同体に貢献することであり、幸福だと。

シンプルなところに帰結しますが、哲人の丁寧な説明でとてもわかりやすいですね。

素晴らしい1冊!

おまけ〜青年の名セリフ集〜

青年が前作からパワーアップして帰ってきた!

青年の表現豊かなボキャブラリー集です。

ぺっ!! どうせ説教じみた隣人愛を語るのでしょう。聞きたくもありませんね!

へっへっへ。その答えもまた哲学的ですね。

ちぇっ、なにが「人間への尊敬」だ! いいですか、わたしも、そして先生も、魂の奥底に漂っているのはおぞましい不道徳の腐臭なのです!

ふっふっふっ、おっしゃるとおりですよ。

いい加減にしろ、この鉄面皮め! なにが悲劇の安酒だ! あなたの言っていることは、すべてが強者の論理、勝者の論理にすぎない! あなたには虐げられた人間の痛みがわからない。虐げられた人間を侮辱している!

こ、この人でなしめ!

しかし、到底呑めた話じゃない。まるで喉の奥にへばりつく、麦芽シロップだ。人間への理解が甘すぎます。

ええい、腹立たしい。次っ!

ふふふ、どんな小理屈を披露してくださることやら。ここは譲りませんからね。ご持論を改めるなら、いまのうちですよ。

軽々しく同意するんじゃない、この時代遅れのソクラテスめ! いいですか、先生。あなたの語る人間は、しょせんすべてがダビデ像なんだ!

ふん、ソクラテスらしく、弁明してみることですね!

軽口を叩くな、このサディストめ! 「お前はどこにでもいる平凡な人間だ」などと言われて、侮辱を覚えない現代人がどこにいる!! 「それも個性だ」などと慰めを受けて、真に受ける人間がどこにいる!!

……いや先生、あなたはわたしの自制心に感謝しなきゃなりませんよ。もしもわたしがあと10歳、いや5歳でも若く、これだけの自制心が備わっていなければ、いまごろあなたの鼻骨はこの拳でへし折られていたことでしょう。

ええい、待てと言っているでしょうが! 議論の展開が速すぎて、なにがなんだかわかりませんよ!

お黙りなさい! 宗教家にでもなったつもりか!!

……人間とはわからないものですね! まさか隣人愛を説くあなたから、こんな愚かしいニヒリズムの煮汁が染み出てくるとは!! なにが「人間の愛」だ! なにが常識へのアンチテーゼだ! そんな思想など、汚水をすするドブネズミにでも食わせておくがいい!!

ええい、畜生! あなたとしゃべっていると、まるで心を知らない機械を相手にしているようだ! 「愛すること」は簡単です。間違いなく簡単です。しかしながら「愛すべき人と出会うこと」がむずかしいのですよ!! 問題は、「愛すべき人との出会い」なのです!

青年は教師になったのにこんなことを言うわけです。それでも哲人は決して怒りません。優しく対話するという態度に感心しますね。

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