不倫したベッキーに対して世間の風当たりが強いですね。非難の嵐です。
今回の件に限らず、企業や人が不祥事を起こしたら、ここぞとばかりに非難や苦情を言い、こき下ろす人がいます。
アルバイトがコンビニやファミレスで蛮行に走れば、Twitterで見つけて炎上させる。不祥事を起こした企業に対してメールや電話などで苦情を言う。
ベッキー関連でもクレームが殺到しているそうです。
人はなぜ非難したがるのはなぜでしょうか。
他人を非難するのは人間として普通のこと
人間はエゴイストと生まれ、自分が最も大切だと思いながら生きています。それが生まれてきた使命でもあります。他人よりも良くありたい。
自分が努力して上に上がればいいのですが、それには長い年月と絶え間ない努力が必要です。頑張らないといけません。
それなら他人を引きずり下ろせばいい。そうすれば相対的に自分が上にくることになります。それで優越感に浸る。
どうしても人は他人のネガティブなところ、悪いところに目を向けやすいものです。欠けている部分に目がいきやすい。
わからんでもない。まぁわからんでもない。
人が悪いことをしたら、それを全力で否定しにいきたくなるのもわからんでもないがな。
どうしても否定したい。自分が正義だと。自分を不快にするなと。
人を否定しにかかるのは、こうした心理でしょう。とにかく人を非難したい。対象を探しているわけです。
対象は誰でもいいのです。ベッキーじゃなくても有名芸能人が不祥事を起こせば非難の嵐でしょう。
問題なのは、そうした不祥事を起こした人に対して、自分の人生に何の関係があるかです。
それでもなお、見守る
今回の騒動で被害を被った人は少なからずいます。今回のベッキー騒動だけに限らず、人が何か悪いことをすれば必ず迷惑になる人がいるものです。
ただ非難しているのは、そうした迷惑を被った人ではなく、全く関係のない人なのです。
ベッキーが不倫したくらいで、あなたの人生に何の影響があるのでしょうか。
全く影響がないにもかかわらず、それを全力で否定しにいく。反応してしまっているのです。
そのエネルギーが無駄だと思いませんか。全く関係のないことで疲れたり、不快になるのは意味がありませんか。
その全く関係のないことにエネルギーを使えるのであれば、自分が本来やらなければならないことに使えるはず。
そうなれば、ほっとけばいいんじゃないでしょうか。境界線を引いてしまえばいいのです。
その境界線を引くためには、広い心が必要です。反応ではなく、寛容になることを選択する。
そして、温かいまなざしでそっと見守ること。何も言わないことです。
人のあら探しをすると自分の品格を下げます。そういったことにいちいち反応していたら思考のクセがついてしまいます。
非難する側の人間からしても、不倫まではいかずとも、大なり小なり、何かしら人として道義に反することはやっているもの。
今まで悪いことを全くしたことが無い人はいるはずがありません。人の一部分だけを切り取って否定することはできないのです。
おわりに
今回の話で学ぶのは『7つの習慣』の影響の輪と関心の輪の話でもあります。
自分の影響の輪にはたらきかければ、たとえベッキーがテレビに映っていたとしても「へ〜、そうなんだ」です。
ぼくらには自由意志による選択の自由がある。自分に関係がなければ、なおさら温かく見守る。
成長する子供を見守るような温かいまなざし。
この温かいまなざしでそっと見守ることが、いま必要なのではないでしょうか。