ブログを書くにあたって「更新頻度」や「質か量か」などは、よく議論されることですね。
もちろん「質か量か」でいわれたら、両方を満たすに越したことはないのでしょう。
しかし、ブログに割ける時間は限られていますから、「凝りに凝った記事をたくさん」というのは、現実的には難しいです。
今日はそのへんの考え方について、現時点で思うところがあったので書いてみたいと思います。
薄っぺらい記事を量産して何になるのか
「量を書けば質に転換するから、とにかく毎日書くべきだ」というのはよく聞く話です。
毎日書くことで、記事を書くハードルが下がるので、より更新しやすくなるからです。
「よしっ、書くぞ」と気負わずに投稿して、記事が積み重なっていく。
それが達成感につながり、成長を実感することでブログに対するモチベーションが上がる。
これは事実でしょうし、実際にぼくもそう感じています。まだブログを書く習慣が身についていない人はなおさらです。
しかし、これにとらわれて、質を無視した記事を量産しても、駄文を垂れ流しているにすぎません。
おばあちゃんが作るカルピスのごとく薄い記事を量産しているブログになりかねない。
「書いた」という事実だけが積み重なり、「濃い記事」も「薄い記事」も同じ1記事にすぎませんから、記事数だけを見て「毎日更新イェーイ」とか「今月は何十記事書きましたウェーイ」になってしまう。
ブログを読んでても「あっ、置きにきているな」とか「毎日更新することが目的になっているな」とかわかるんです。無理やり力技でなんとかしようとしているのがわかる。まさにゴリ押し。
これは違うのでないかと思うようになってきました。
真摯に書くべき
記事数が増えていけば、当然のことながらページビューが増えていきます。するとTwitterとかで反応してもらえたりするんですね。
驚いたことに、本を紹介したら著者からメッセージが来ることもあります。「ありがとうございます。嬉しいです」とか。紹介した本がAmazonで買われていることもあります。
この事実を知ったときにまず思ったことが、「嬉しい」や「ありがとうございます」の前に「かたじけない」というのが正直なところでした。
「かたじけねぇ、この記事に時間を割いてもらって、すまんのぅ」と思うわけです。刀を紛失して交番で見つけてもらった武士のようなものです。
著者に読まれるんだったら、もうちょっと踏み込むべきだったなとか、この記事を読んで本を買ってもらうんだったら、自分の感想をもっと丁寧に書くべきだったなとか、こんなに反応があるんだったら、もう少し詳細を詰めておけばよかったなとか思うわけです。
同じ「1ページビュー」でも、内容は異なるので詳細はわかりません。アクセスしてもすぐに離脱したのかもしれませんし、食い入るように読んでくれたのかもしれません。滞在時間だけじゃなんともいえないんですね。
いずれにしても「もっと真摯に書かないといけないな」と感じました。
1年前の記事とか読むと、恥ずかしいにも程があるんですね。何がいいたいのかよくわからない。もっとこう書けばいいのではないかとか思うことはしょっちゅうです。
過去記事を修正すればいいのでしょうが、成長の過程、未熟な自分を残しておきたいので、誤字脱字など明らかな部分を除いては、根本的な部分は修正しないようにしています。
あくまで、当時の自分が書いたことを大事にしておきたい。何にプライオリティを置き、どんなことを考えていたのか。
だからこそ、真摯に書くべきなんだと。いまの自分で淡々と勝負することです。
ひとつの記事の「精度」を高める
最初は量を書くことにこだわることは否定しません。文章を書くという習慣を身につけるためには、毎日継続して取り組む必要があるからです。これはブログに限らず、習慣化するときには絶対に外せないことですね。
「量」を書けるようになり、ブログを書くハードルが下がったのであれば、今度は「質」にこだわるべきです。
それは「記事を書く時点での完璧を目指す」ということ。
世界的なフルート奏者ジャン・ピエール・ランパルによる”上級音楽教室”に出席したことがあってね。国の中でも特に優秀な若手のフルート奏者が集まって、彼の前で演奏するんだ。一人が吹き終わるたびに、ランパルは自分の金のフルートを手に取り、「こういうのもいいかも」と言って、同じ楽節を吹く。どっちもきれいだけど、演奏の仕方はずいぶん違うことがよくあった。
最後に僕は、作曲者の作品にどんどん新しい解釈を施そうとしてらっしゃいますよね、とランパルに尋ねた。そしたらランパルはこんなことを言ったんだ、「努力に努力を重ねて、コンサートである曲を、〈完璧に〉演奏できたとします。そうすると、私はまた努力に努力を重ねて、翌日のコンサートでは〈さらに素晴らしい〉演奏をするんです」
すごい!完璧以上に素晴らしいなんて。論理としては筋が通ってないけど、それを聞いたとたん、僕はハッとひらめいたね。彼の言葉は、完璧というものに対する僕の考え方を永遠に変えてくれた。完璧では十分じゃない−まだ試してみる必要があるってことなんだってね」
『仕事は楽しいかね?』
ちゃんと読者のことを考えて、調べて一歩踏み込んでいるかどうか。
アイキャッチ画像を設定するとか、見出しをつけるとか、誤字脱字に気をつけるなんて基本的な部分も含まれます。推敲を丁寧にするってことですね。
自分では100点満点だと思っていても、他人から見たら50点かもしれません。
100点満点を目指すのではなく、100%の精度を目指すべきだと。ただ精度だけは高いレベルを維持する必要がある。
それが積み重なって初めて「良いブログ」になるんじゃないかと。1記事1記事が丁寧に書いてあると、読みごたえがあるブログが完成します。
「こ、これや! ワイが求めてたんは、この味や!」と。
ぼくがこの手の話をするときに、いつも思い出すのが、「Webデザインレシピ」です。
1記事1記事が本当に濃い。どれだけ調べて手間ひま書けて書いたんだろうかと思います。これは技術系ブログの特徴かもしれませんが、究極的にはここなんだと感じています。