前回は『執着の捨て方』という本について書きました。
参考:目を閉じて自分を振り返る『執着の捨て方』アルボムッレ・スマナサーラ著
今回はその中でも「潔く生きる」ことについて考えてみます。
潔く生きる
「潔く」とは「さっぱりしている」「未練がましくない」「思いきりのよい」などの意味があります。
余計なものを抱え込まないず心がスッキリするようなものです。
引きずっていないともいえます。
人は自分のモノや意見などにこだわりがあり、これが行き過ぎると「執着」となり、自分を苦しめるということでした。
「モノ」に対しては簡単に執着を捨てることができます。思いきって捨てればいいわけですから。
しかしこれが「人」に対してとなるとやっぱり難しいものです。
自分が悪いことをしても、自分の非を認めて謝ることができない。
昔フラれた恋人のことをいつまでも諦めきれない。
なかなか気持ちを切り替えられず、ずっとネチネチしてしまうなんてことはあるでしょう。
謝ることに関しては、自分が悪いことをしているわけですから、それを認めて「ごめんなさい」と言う。
なかなか大人になるとできません。
いままでの経験や、面子、立場、いろいろな思いがあるからなかなか言えない。
すぐに謝ることができないのは事実を認めることができず、自分に「執着している」ということです。
恋愛でも恋人にフラれて落ち込んでしまい、なかなか立ち上がることができない。
食事も喉を通らない。こういうパターンもよく聞きます。これも現実を受け入れることができない状態です。
でもすぐ次の恋に向かっていける人もいます。前を向いて進んでいくということです。
うまくいっている人は、気持ちの切り替えが早いということですね。
受け入れる
事実を受け入れる気持ちの余裕が必要だということです。
いつまでもネチネチするのはカッコいいとはいえないですから「クールに生きる」ということですね。
事実を受け入れたうえで、次の行動に向かう覚悟を決める。
過去を引きずらないこと。気持ちの切り替えを早くすること。これが「潔く生きる」ことに繋がってくるのではないでしょうか。