以前、本を読んだだけで終わらせると頭には入らないから、読書メモを作ろうと書きました。
読書メモは手書きだと時間がかかるので面倒くさく、パソコンで入力したほうが保存や編集がラクだということでした。
この方がハードルが下がるので続きやすいのですが、改めて考え気づきました。
それは「書いて考える」ということが、物事を身につける上で非常に重要だということです。
今日はそこらへんについて考えてみたいと思います。
書いて覚えるのが基本
学生の頃の勉強はどうだったでしょうか。
教科書やテキストに書き込み、ノートに書き写し、音読も模写もし、何回も同じ問題を繰り返し解く。 そうやって反復してようやく自分のモノになったはずです。
ぼくは数学が好きで、得意だったわけですけど、どんな未知の問題で解法がわからないような問題と対峙しても、わからないからとそのまま考えていてもわからないままです。
でも、問題を解きながら、解答用紙に書きながら考えていくんですね。
ああでもない、こうでもないと。
書いているとだんだんと道が開けてくるわけです。
よく言われているのが、問題を解けない人は、問題の前でうんうん唸るだけで、ペンが止まったままということです。
対して問題を解く人はとにかくペンを走らせる。 これこそが考えること、思考することなんだと。
また、漢字や英単語などは、ノートにひたすら書いて覚えていました。音読しながら、何回も。
そうやって自分の頭に刷り込んでいくわけですね。
それが、パソコンのタッチタイプだけだけどうでしょうか。
同じキーを繰り返し叩いてもきっと覚えることはできなかったでしょう。手で書くことで記憶にも影響がでるわけです。
本を読んだだけで理解はできない
昔、東大生のノートが美しいことが流行りました。
東大生のノートがなぜ美しいか著者が200冊程度のノートを集めてその分析をし、その特徴を紹介した本です。
ぼくが当時一番気になったのが、「東大生でもノートに書くんだ」ということでした。
デジタル全盛期の時代でも、頭のいいと言われる東大生でも読んだだけでは覚えることができないということを示していました。
やはり、自分の頭で考え、咀嚼して、再構築する。反復するためにノートに書く。
その作業があって初めて自分の知識となる。
にもかかわらず、勉強より難しい仕事や、人生、もっと言えば生き方に関する教科書とも言えるような本をどうして読むだけで身につけることができるでしょうか。
読むだけですべてをマスターできるのであれば、みんな何もかもうまくいくはず。
でも実際は違います。
本の内容を理解できていなかったり、忘れてしまったり、なのに次々と同じような本を読む。
しっかり咀嚼して自分のモノにする必要があるということです。 決して本を読んだだけで中身を理解できないということです。
書くことが考えること
本の内容を書いてみることで、自分の頭の中の思考が見えることができる。
キーワードやつながりを書き出すことで何が大切な部分か、著者が何を言いたいのかを知ることができます。
キーワードだけでも書き出すことでその関係性がわかりますし、多いキーワードは著者が最も言いたいことかもしれません。
本の内容を理解したいのであれば、書き出すことをおすすめします。