残念な本の読み方とその改善策

本

読書について、速読がいいのか、精読がいいのか論じられることは多いです。より多くの本を読むべきなのか、それとも1冊の本を繰り返し読むべきなのか。

速読・多読に関する書籍もあれば、精読・遅読に関する書籍も多くあります。古くは歴史書や古典から最新のビジネス書や自己啓発本まで、世の中には多くの本が出回っています。

速読ができることでより多くの本が読めますので「すごい!」と言われることになります。

ですから、速読がもてはやされることは事実ですし、現実的に1年間に何百冊も読める人はすごいなと感じています。

ぼくは速読はできませんが、できるだけ多くの本を読みたいと思い、多くの本を読んでいた時期もありました。

しかし、1冊の本を読み終えてすぐに次の本に移ることは、冊数をこなしていくだけになり記憶に残りません。

流れ作業のような読書は効果が薄いなと感じるようになってきたので、今日はその改善策について書いてみたいと思います。

残念な本の読み方とその改善策

テクニックだけをつまみ食いするのは残念

本を読んで参考になる部分だけを抜き出すような読み方、つまみ食いですね。これは非常に残念というか、もったいないです。

例えば、「仕事がデキる人になる◯の方法」のような本ばかりを読んでいると、自分の頭で考えなくなります。そこに書いてあることを何も考えずに実践すればいいだけなのですから。

それである程度の結果は出るかもしれません。自分でゼロから試行錯誤をして苦労するよりも、本の最初の数ページに答えが書いてあったなんてことは往々にしてあります。

ですが、こういったテクニックだけを拾ったものはなかなか続きません。

その行動をなぜやるのかという考えが自分の中に落とし込まれていないので、効果がすぐに出なければ、次のテクニックを探すようになってしまいます。

まだ他に新しいやり方があるのではないかと貪り、次の本に手を出すことになります。自分の中の何も変わっていないにもかかわらず!

このような本の読み方は、上澄みだけをすくい取っているようなものなので、自分の中に落とし込まれず身につきません。

こうなってくると、本の数だけ増えても自分の中に深みが出てきません。

著者の思考回路を理解してはじめて読んだといえる

ここから脱却するために大切なことは、著者と対話することにより自分の頭で考えることです。

なぜ著者はこんなことを主張しているのか、著者のどういった経験からどんな思考になっているのか、ここを理解するべきです。

著者の背景を踏まえた上で、著者の理論を自分のものにするということです。

印象に残った部分をそのまま引用するだけでなく、自分の言葉で著者の考えを語ることができるか。ここが大きなポイントです。

読書会などで人に説明するときに、著者の主張を自分の言葉で語れるようになってはじめて読んだといえます。

上澄みだけをすくい取ったような読み方だと、決して人に説明することはできないでしょう。人に対して自分の言葉で著者の思考回路を説明できるレベルになってはじめて意味があります。

1冊の本を深掘りすれば、自分にとって大切なことが学べる

本の上澄みをすくうような読み方だと頭に深く入ってこず、潜在意識まで浸透しません。

自分自身の経験を踏まえても1回だけ読んだ本というのは、本を読み終わった瞬間は学んだつもりになっていても、本棚に戻してしまうと、いつの間にか消えてなくなっています。

そう考えると本の冊数を重ねることはあまり意味がありません。読書家で有名な人たちは、多くの本を読む必要があるのかもしれません。

しかし、あくまで自分の人生に変化を起こすレベルであれば年間数百冊も読む必要はなく、それこそ年間10冊くらいでいいから繰り返し読んで体得することのほうが効果は大きいです。

ぼく自身の経験を踏まえても、人生に大きな影響を与えた本、仕事や生活に変化をもたらした本というのは間違いなく繰り返し読んできた本です。

こういった本は、いまは手元になくても、人に対してどんな本だったか語れるレベルにまで自分の中に落とし込まれていますし、なかなか忘れることがありません。

本をたくさん読むことが美徳になっていますが、仮に年間数百冊読んでも「それで?」という感じがします。

それよりはむしろ冊数が少なく、生き方に影響を与えてくれた1冊を大切に読むほうが逆にカッコいいなと思うようになってきたので、自分への戒めも込めて書いてみました。

1冊を丁寧に読んでいきたいですね。

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