「時間がない」と感じているのであれば自己管理ができていない証拠

時間

毎日がいっぱいいっぱいで時間がないと感じることはありませんか?

息つくヒマもない、なかなか自分のやりたいことに落ち着いて取り組むことができない。そう感じることがあるかもしれません。

しかしそれは本当なのでしょうか。ぼく自身の経験を踏まえても「時間がない」と感じるのであれば、それは思考停止に陥っていて自分自身を管理できていない状態だと考えています。

だからこそもう一歩踏み込んで、自分の行動を記録し、本当に「時間がない」のか考える必要があります。

「時間がない」と感じているのであれば自己管理ができていない証拠

「時間がない」の罠

「時間がない」という言葉に甘えて思考停止していないか、それより先に進むことをやめていないか、もう少し考える必要があります。

自分の行動に対する意識が希薄になっていないか。先を見通して行動を組み立てているか。

このようなことが疎かになってきて、周りに翻弄されてくると「時間がない」と感じてしまいます。

しかし、もう少し考えたいのが、本当に「時間がない」のかということです。1日は24時間であり、これはみな同じ時間を過ごしているはずです。

自分には時間がないと感じる一方で、自分よりも忙しく過ごしている人は多くいます。そういった人は「時間がない」という言葉を発することなく、自分のやるべきことを淡々とこなしているはずです。

みな同じ24時間で過ごしているにもかかわらず、自分だけ「時間がない」と感じているのであれば、自分の行動に対して意識が向いておらず、行動を振り返っていないわけです。

時間がなくなるような行動をしていないか

時間がない、忙しいと感じている割には無駄なことをしているものです。

たとえば、ネットサーフィンだったり、SNSのタイムラインを眺めたり、テレビを観たりすることですね。

あるいは同僚とおしゃべりをしたりすることもあるでしょうし、頻繁に買い物をしたり、コンビニで立ち読みしたり、意外と無駄な行動をしているものです。

1日24時間というのは変わりませんから、そういったことで浪費されてしまうと、必ず時間が不足してしまいます。

無駄なことをしているにもかかわらず、惰性でやっているから自分では気づいていないだけなんですね。つまり悪い習慣が身についている

もうそれは完全な無意識。無意識でやっているから余計にタチが悪いです。ついスマホに手を伸ばしてしまい、ダラダラとSNSのタイムラインを眺めてみる。

ふと時計を見ると、あっという間に1時間過ぎている。そして自分には時間がないと感じてしまう。なんか矛盾していませんか。

時間がなくなるよう行動パターンが習慣化されていて、それに気づいていないことが問題です。

「時間がない」という自己憐憫

「時間がない」という言葉は一種の甘えであり、周りがなんとかしてくれないと自分ではどうしようもないという考えにもつながります。自己憐憫に陥っている状態です。

「自分はこんなにも頑張っているのに報われない」と嘆いている。自分の力ではどうしようもない、だからしょうがない。

そうやって自分で自分をかわいそうだと思うことで、自己完結している。その先のアクションを見据えていないわけです。

かといって誰かに同情してもらえるわけではありませんから、本当に自分のやりたいことをやるためにはなんとかして次の行動に踏み込まなければなりません。

「時間がない→自分はなんてかわいそうなんだ」という悪い思考のサイクルから飛び出す必要があります。

記録することで自分を解き放つ

時間の不足を感じているのであれは、それは感じているだけですから主観的なものです。つまりなんとなくの感覚の話です。

実際の自分の行動を記録してみると、驚くほどの「ためにならない」行動に時間が費やされていることがわかります。

ここでいう「ためにならない」というのは長期的に見て自分のためにならない無駄な行動です。ダラダラとネットサーフィンをしたり、SNSのタイムラインを眺めたりすることは、短期的には自分の欲求を満たしています。

ここに気づく必要があります。自分は無駄な行動をしている。目の前の欲求にとらわれていると。

まだ自分自身で無駄な時間だと気づけるのならまだいいのですが、一番やっかいなのが使途不明時間があることです。

自分のやるべきことに没頭していて時間も忘れるくらいならば、振り返ったときにこの時間は集中できていたとわかりますが、大抵はそうではなく自分の行動に対する意識の希薄さ、惰性で続けている悪習慣です。

多くの使途不明時間があるということは自分の行動に意識が向いていない状態なので、ここをまず認識する必要があります。自分には無駄な行動が潜んでいると。

惰性で続けているということは自己管理ができていないということ。

まずは記録することで自分の行動を振り返ることが大切です。

言い訳せずに、まずは自分にできることをやろう!

いつもこの時間がないという話で思い出すのが、『夜と霧』という本です。著者のビクター・フランクルが第2次世界大戦時にナチスの強制収容所に入れられたときの体験記です。

心理学者であるフランクルは、強制収容所に入れられるときに自分の所持品はすべて没収されるわけですが、その中に書きかけの原稿がありました。

それをなんとか形にしたいと思い、強制収容所の劣悪な環境の中で速記により再現しようとしたわけです。食べ物がほとんどなかったり、寝る場所も満足になかったりしたにもかかわらずです。

どんな環境に置かれても自分で行動を選択することができるということです。

現代の日本においては、ここまで自分自身を拘束されることはまずありません。自分の行動に対してはかなりの裁量があります。

その選択する自由の中で「時間がない」と感じるのは、やはり自分の行動に対する意識が希薄で、ほぼ何も考えていない状態だといえます。自分自身を管理できていない。

まずは記録を続けることで自分を分析し、本当に時間がないのか、改善できることはないのか、自分の行動に意識が向いているのか考え、自分を解き放つことです。

そうすれば、少しでも自分に余裕が出てきます。

スポンサーリンク