「本を大切にしなさい」と、よく言われたものです。
本はえらい人の書いたものですと。 本を開いたままで裏っ返しにしていれば、本が傷むからと叱られましたし、落書きなんてもってのほかです。
そういう意識が残っているせいか、ぼくはずっと本を汚すことに抵抗がありました。
マーカーで線を引いたり、ペンで書き込んだりするのが、どうしてもできなかったんですね。
折り目もつけないように、本を開いて癖づけないように新品同様に扱うことが美徳だと。
今でこそ蛍光ペンで線を引いたり、気が付いたことを本に書き込んだり、お風呂の中で読んだりしています。
お風呂で読めば多少しわくちゃになりますし、逆にきれいな本は手元にはほとんどないです。しかし、もう今では気にならなくなりました。
どうしてここまでできるようになったのか、ぼくにどんな心境の変化が起こったか書いてみたいと思います。
本は汚してこそ価値がある
本を読むようになってからというもの、読書術とはどんなものかを興味を持つようになりました。
本って普通に読めばいいんじゃないのかと思っていました。本を読むことに手法があるのかと。
巷には本の読み方に関する本は多いです。書店にはそれだけのコーナーもあるくらいです。
ぼくはいろんな本がある中で、いままでに10冊くらいは読んできたんではないでしょうか。
その中のほとんどの本で繰り返し説かれていたのが「本は汚せ」です。
思いついたことは書き込み、線を引き、角を折り、自分のものにする。汚すことで自分の血肉になる。
ほとんどの本にはそんなことが書いてありました。
最初は非常識だと思っていたのですが、それを繰り返し読んでいるうちに汚してもいいのかと、試しに蛍光ペンで線を引くようになりました。
すると、あとから見返すときにわかりやすいんですね。
そこだけが目立つわけですから、ページを開いたときに真っ先に目に入る。
頭に入ってきやすくなりました。 そのときに思ったんですね。「本ってきれいに扱わなくてもいいんだ」と。
100年後にその本はあるか
よくよく考えれば、本はいつまでも手元に置いておくことはできないと思っています。
子どものころに読んだ絵本や教科書、マンガまで、実家に残っているものはまったくと言っていいほどありません。
必要がなくなったり、場所がせまくなったりしたら捨てるわけです。資源ごみとして回収業者に渡していました。
どんな大切な本もいつかは必ず捨てるときがくる。 もっと言えば100年後にその本はあるかどうか。
あるいは、自分が死ぬときに墓まで持って行けるかどうか。
そう考えると、本をきれいに扱うってあんまり意味がないんですね。
それよりか教科書やノートのように書き込みをしまくって理解を深めたほうが本もよろこぶんじゃないかと。 内容を理解されて本は役に立つわけですね。
それでもどうしてもできないんと言うのであれば、もう一冊買うという方法があります。
昔は好きなアーティストのCDを限定版と通常版、保存用と聴く用みたいなものです。 そうすれば抵抗なく書けるんじゃないでしょうか。
まとめ
自分が重要だと思ったところを目立たせることで、後に読むときの目印となります。
その箇所だけ読んでも、本のおおまかな内容がわかるので助かります。
また本を読みながら書くことで、考えることもできます。
本に対する自分のアイデアを出すことができる。考えるために書くわけですね。思考できる。本の内容を得るためには本に書いた方がいいということがわかりました。
本の内容を理解しようとする気持ちが大事だということです。