水。
手の平にすくえば手の平になる。
水のような心を持ちたいと常々思っています。何事も心のありようがすべてを決めると思っているので、心がざわついていると物事が丁寧ではなくなりますし、良い行いもできません。
ぼくは完璧な人間ではありませんので、どうしてもうまくいかないことがあったりすると、心穏やかになれないときもあります。
心が澄み渡った状態でいるためにはどうしたらよいか。そんなときに出合った本が、『水のように生きる』です。
読めば心が洗われる、すっきりとするような本でした。
水のように生きる
我を捨てて、他人のために生きる
現代はストレス社会です。その中でつらかったり、怒りの感情があったりします。なぜつらさが消えないのか。なぜ苦しいのか。
仏教では4つの苦しみがあるといいます。「生老病死」の4つ。「四苦八苦」の「四苦」ですね。
仏教でいう「苦」は、「苦しい」という意味ではなく、「思いどおりにならない」ことをいいます。この4つはどうしようもないことです。
本書では、自分の道がわからないからつらいのだといいます。
自分の本来歩むべき道がわかっていれば、どんなことがあってもそれは道程にしかすぎず、たとえ理不尽なことがあっても心を穏やかに保つことができます。
では、この歩むべき道とは何か。
「我を捨てて、他人のために生きる」といっています。
自分のために生きるのではなく、心にスペースを持ち、他人を思いやることで、つらさから解放されるわけです。
カルマ(宿題)を解消する
つらい、苦しいと思っていること。それは前世からの宿題(カルマ)だと著者はいいます。
今世でつらいと思っていること、不足していることは前世でも同じような境遇にあり、それに取り組む必要がある課題だと。
なんかスピリチュアルですね。
そのカルマというのは、我にこだわっているからこそ与えられるものです。
それを解消するための合言葉が「私はいま、魂を磨いている」と思うことです。
うまくいかない、思いどおりにならない、つらいことがあったときは、魂を磨いている。カルマを解消するためだ。
そう思いなさいといっています。
本書では夫婦関係、親子関係についても触れられていて、世界平和の最小単位は家族だと述べています。
その最小単位である家族の中で、うまくいかないことも多々あると思います。
それこそ実践の場として自分の魂を磨く場所であると。
もし家族関係や、仕事関係でつらい思いをしているのなら、それは前世から課されたカルマを解消するためにそうなっているわけです。
具体的な方法としては、掃除をすることで場をきれいにする。掃除をすることは汚れと向き合うことですから、まさに自分の心を磨くということ。
「1に掃除、2に掃除、3、4がなくて5に掃除とまでいっています。それくらい大切です。
そして、坐禅。
坐禅をすることで自分の心と向き合うことになります。内省をすることで自分が本当に正しい行ないをしているのかどうかを振り返ると同時に、心を空っぽにする。このニュートラルになる状態が大切です。
まさに水のような心を取り戻すための行いです。
水のように生きる
水は凸凹にはなりません。ないだ水のようにニュートラルな状態。
水は決まった形を持ちません。
器に入れれば、器にちゃんと収まります。固形物にように自分の形にこだわりを持っておらず、どんな形にも変容させることができるということ。
それくらいしなやかな心を持つことです。
また、水というのは生命の源でもあります。すべての生物は海から始まりました。
空にある水分が雲とり、雨が降ります。それが生命の水として生き物を癒し、命の誕生を迎えます。
そして高いところから低いところへ流れ、必ず海に辿り着きます。そしてまた空にあがる。
そうやって生命は水とともに循環している。水の思想は輪廻の思想です。
まとめ
イメージは常に水。
水のようにさらさらと流れ、すべてを洗い流す。
とどまれば自分を映し出す鏡にもなる。
水のように我にこだわらずに生きることが、自分の歩む道だということです。
このイメージは常に持っていたいですね。心穏やかになれる本でした。