ブログを始めてからしばしば思うのは「文章を書くのって難しい」ということです。
考えは浮かんでくるんですけど、うまく言葉にできない、文章にまとめることができない。
頭を捻っても自分の考えを説明できないこともあります。 簡単なようで難しいですね。
ぼくは社会人になったばかりのころは、仕事でほとんど文章を書く機会がありませんでした。
そのため、文章を書く能力が学生時代から上がっていないですし、むしろ落ちているんじゃないかと思うこともしばしばあります。
現在の仕事はかなり文章を書く必要があり、上司に対してわかりやすい説明を文章で説明しなければなりません。これがまた困るわけです。
いま思えば、学校で作文を書いたきりだったんですね、文章を書くことって。ですから、文章を書く能力が落ちたのかもしれません。
そんな中で始めたブログでもあるのですが、ちゃんと文章についての本を読んだことがないということもあったので、手にしたのが『20歳の自分に受けさせたい文章講義』です。
著者は、ベストセラーにもなった『嫌われる勇気』を書いた古賀史健さんです。
本書はその『嫌われる勇気』が出版される前に書かれた本のようで、ライターとして15年の経験を持つ著者が、その文章を書く技術を包み隠すことなく教えてくれる本です。
ぼくが重要だなと思ったポイントをまとめてみたいと思います。
これからは「書く時代」「書かされる時代」になる
いまから15〜20年前は、まだ個人がパソコンや携帯電話を持つことが一般的ではなく、いまみたいに簡単に手軽にメールを送ったりすることはありませんでした。
文章を書くといえば、年賀状などの手紙くらいだったようです。
それがいまでは、パソコンやスマホの普及で、個人が簡単に電子メールやSNS、ブログなどで文章を書くことができるようになり、仕事においてもひとりに1台パソコンが支給され、メールから企画書、プレゼン資料などで文章を書くようになりました。
そしてこれからは文章を書くことがなくなることはなく、むしろ書くことがもっと増えてくるかもしれません。
だからこそ、文章を書くということはこれからの時代には必要な技術であり、将来への投資になると著者は言っています。
それがつまり、変化の激しい時代を生きる上での武器となるということです。
文章とは頭の中の「ぐるぐる」を翻訳したもの
頭の中に書きたいことはある。でもその思いが漠然としている。
そして、その「感じ」や「思い」が頭の中を駆け巡る。著者はそれを「ぐるぐる」と読んでいます。
文章とは書こうとするものではなくて、その頭の中の「ぐるぐる」を伝わる言葉に翻訳することだと言います。
「翻訳」とは、その分野の素人にも通じる言葉に置き換えること。再構築して自分の言葉に置き換えること。
そのための技術が後に紹介されているわけですが、これが新しい発見でした。文章を書こうとするのではなく、翻訳。
書きたい内容を一旦、バラバラにした上で、整理して、再構築する。その作業を通してでき上がったものが文章ということです。
いきなり、何もないところから文章が浮んでくるわけではないということでもあります。この後に本書では、具体的な技術が紹介されています。
視覚的リズム
最近は、スマホやパソコンで文章読むことが増えましたが、まず読者がやることが「読む」のではなく「見る」ことだそうです。
つまり「眼」で読んでいる。これを文章を書くときに忘れてはいけません。
画面いっぱいに広がった文字を見て、その文章を読むかどうかを決めているわけです。
確かにブログでも、画面いっぱいに小さい文字が並んでいると、読む気がなくなってしまいます。 そこで気をつけたいのが次の3つです。
1.句読点の打ち方
一行の間に句読点がないと、どこで文章を切ったらいいかわかりませんし、結構苦労します。 そこで、「一行の間に必ず句読点を入れる」ことを勧めています。
ほんの少しでもスペースをとることで、余裕が出て視覚的リズムが生まれてきます。
2.改行のタイミング
改行がない文章も読むのはかなりつらいです。見た目の圧迫感があり、ぼくは「うっ」ってなってしまいます。
ですから、適度に改行を入れることで同じように圧迫感を解消しましょう。 本書では「最大5行」と言われています。ブログなどのWebでは、もっと少なくてもいいかもしれません。
3.漢字とひらがなのパランス
漢字が多いと、これも文章全体が黒っぽくなって文字で埋まった感が出てしまいますので、適度にひらがなを使うことをすすめています。
かといってひらがなばかりだと、逆に読みにくくなります。漢字は「表意文字」といって、漢字の見た目に何の意味があるのかわかるようにできていますので、ひらがなだけでなく、漢字とのパランスも大事です。
以上の3つを気をつけると、文章の第一印象が良くなります。
圧迫感がなくなりますので、文章の中身以前に読者に読んでもらいやすくなります。 ぜひ気をつけていきたいものです。
論理展開はマトリョーシカで
ぼくが文章を書く上で一番難しく感じているのが、この「論理展開」ってやつです。 起承転結とか序論・本論・結論とかありますが、ちゃんと道筋を文章で示すって難しいと感じています。
では、論理的な文章とはどういうことをいうのでしょうか。 読んでいて、すんなり入ることができる。違和感のない文章のことをいうと思います。
論理が崩壊している文章は、あっちこっちに話が飛んでいき、段落の前後でつながりを欠き、何が言いたいのかわかりにくいことをいうのではないでしょうか。
本書では、その論理をまずは、接続詞でつなぐことに注目し、さらには主張が確かな理由によって裏打ちされたときだと書かれています。
そこで登場するのが、論理のマトリョーシカです。 マトリョーシカは大きな人形の中に小さな人形が入っていて、またその中に小さな人形のことです。
文章も同じように、入れ子構造にしてやる必要があるわけです。
- 主張…文章で伝えたい主張
- 理由…その理由
- 事実…理由を説明する客観的な事実
主張の中に理由があり、理由の中に事実がある。
マトリョーシカのように構造的になっている文章が論理的だということです。
常にこの3点を忘れることなく文章に盛り込みます。どこかが書けてしまったら、筋の通らない文章になってしまいます。 特に気をつけるポイントですね。
いまこの瞬間にも10年前の自分はいる
文章は誰に向けて書くかが大事です。特にブログでは、対象読者を絞れなんてよく聞きます。
本書では、読者の椅子に座ることを重視し、その中で、10年前の自分に向けた文章を書くべきだと言っています。
いつの時代も悩みや問題は普遍的なものです。ですから、もっと昔に知っていればということがあったとしたら、その自分が経験したことをこれから経験する人が日本全国にもいるかもしれません。
下の世代、後輩や子どもなどは特にそうだと思います。みな同じように道を辿るわけです。 ですから、10年前の自分に向けて書くことが大切になると著者は言っています。
推敲とは過去の自分との対話
一旦文章が完成したら、推敲を進めていきます。その中で、たくさん文章を書いたんだからもったいないと思ってはいけないと著者はいいます。 文章は何を書かないかが大切だということです。
引き算の発想をすることで余計なものが削り取られ、自分にとって大切なものがわかります。そうやって推敲を重ねることで、自分にとって本当に言いたいことがわかるわけです。
まとめ
「書くことは考えること」 まさしくそうなんだなと、この本を読んで感じました。
文章っていきなり降ってくるものではなく、書くことにより思考が深まり、文字が出てくるようなイメージです。
小さなひと手間や面倒くさい細部を描くということにも触れられていますが、まさに文章を書くとのは、そういった地味な作業の繰り返しなんだと気づきました。
才能溢れる人が、パッと書ける場合もあるのかもしれませんが、普通は考えを練って練って、組み立てて、削ることを繰り返して文章を作る。
だからこそ、読んだときにわかりやすくなっている。
ちゃんとした手を使った技術なんだと思いますし、頭だけで閃いたものではないということがわかりました。
本書は、著者のライター経験が元になっているので、おそらく若手ライターのために書かれた本だと思います。
しかし、本文の途中にも「ブログ」という単語が登場しているわけで、まさにブログを書くための本と言ってもいいです。
視覚的リズムや10年前の自分に向けて書くなどはまさに、ブログを書くときに気をつけるべきポイントですし、他にも冒頭を映画の予告編のようにインパクトあるものにするテクニックなど、これ一冊あれば、ブログを書くには十分過ぎる内容でした。
本章にも述べられていますが、文章を書く技術というのは、学校ではちゃんと学んでいません。
ですから、これから学んでいけば必ず上手くなります。
なぜなら、文章を書くことは技術であり、ちゃんと練習すれば、誰でもうまくなれるということだからです。文才は関係ないです。
自らの才能を問う人は、”諦めの材料”を探しているだけだ。もっと言えば夢をあきらめる”言い訳”を探しているのだ。なぜなら、本当の”天才”は「自分に才能はあるのか?」などと考えない。あなたが本当に”天賦の才”を持っているのなら、自らの才能など1ミリも疑うことなく、ひたすら前に進んでいるはずだ。
それを踏まえた上で、ぼくは断言する。
いい文章を書くのに、文才などまったく必要ない、と。(P.267-268)
長い眼でブログを書いていけたらなと思わせてくれる本です。
間違いなくブログにおける座右の書になりそうです。