自分の足元を掘り続けることが大事

掘る

ぼくらは、自分が何かを探し求めるとき、それはどこか知らない場所にあって、それを見つけることができると思いがちです。

自分の夢や目標、やりたいこと、実現したいことなど、自分の求めているものがどこかに転がっていて、それを見つけ出すことができると思っているからこそ、いろんな行動を起こします。

それは本を読むこともそうですし、人に会うことや、新しいことをはじめること、非日常を味わうことができる場所へ行くことなどです。

「自分探し」なんて言葉もあるくらいですし、「どこか」に「何か」があると思うこと。

今日はそこらへんについて、自分の考えを書いてみたいと思います。

本当に自分が求めているものが「どこか」にあるのか

最初は、それは有効な手段だと思います。

圧倒的に知識や経験が不足している中で、何かを見つけることは難しいですし、自分の狭い範囲の世界しか知らないことになります。

自分の幅を意識して広げることをしていかないと、見つけ出すことは困難です。

では、そういったことをずっと繰り返していてもよいのでしょうか?

本をひたすらに読み続ける。まだ新しい知識や情報はないかと、次から次に新しい本を手にする。

あるいは人脈作りだからと、次々と人に会い名刺交換をしてFacebookの友達を増やす。

学ぼうとセミナーに参加して、次々に資料をもらいどんどん溜めてしまう。

この行動を続けていれば、きっといいことがある。

まだ見ぬ自分はどこかに存在していて、それを見つけ出すことが成功につながる、あるいは幸せになれる。

そんな風にあてもなく彷徨っているだけで、人生が終わってしまうんじゃないでしょうか。

答えは自分の足元にある

ぼくが最近感じたことは、「答えはすでに出ていて、何をすべきかわかっている」ということです。

答えは薄々出ていることを知っているにもかかわらず、そうやっていろんな行動を起こしているんじゃないかと思っています。

あっちにフラフラ〜、こっちにフラフラ〜と。

世の中にはいろんな人がいて、すごい人達がいます。

それこそ、芸能人などの有名人や、好きにやって生きている人、雑誌やネットで話題になっている人。

いろんな人を知っているからこそ自分も何か行動を起こしていないと不安なんじゃないでしょうか。

だからあれこれ手を出してしまうんです。昨今「○活」といわれるように何かの行動といわないといけないみたいな。

しかし、あれこれやって自分に何が残るでしょうか。

人に会うにしても、1回会ったきりで終わっている人もいるはずですし、いろんな場所に行っても、日常に戻れば忘れてしまいます。

本の内容も忘れてしまいます。

疑うことなく掘り続けることができるかどうか

もう既に答えは出ていて、何をすべきかわかっていると言いました。

ある程度の経験を積めば、いままでの人生を辿れば、自分が何が好きで、何をやりたいかなんてもうわかっているはずです。

わかっていても、それに向かうことが不安だったり、失敗するのが怖いから前に進めずにいるわけです。

ですが、大切なことは「一つのことを突き詰められるかどうか」それが「自分の足元を掘ること」です。

実は自分の大切なものはどこか知らない場所にあって、それを探し出すことではなくて、すでに自分の足元にあるんです

でもそれに気づけずにいる。

同じ場所を飽きることなく疑うことなく掘り続けることができるか

その一点に尽きます。

まとめ

あれこれ手を出し続けていると、結局何にもならなかったということはよくあります。

いろいろ学ぼうとするのは、いいですが大切なのは「一点集中」です。

答えは自分の足元にある。そして、それをひたすらに掘り続けることができるかどうか。

ずっと掘り続けることができれば、自分の本当に大切な何か、自分の夢は目標、やりたいことなどを発見することができるのではないでしょうか。

大切なことに気づけたようです。

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